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風穴 江(Ko Kazaana/@windhole)のブログ。techジャーナリスト、コラムニスト。「tech@サイボウズ式」の編集者。

高橋 信頼さんの死を悼む──「戦友」として

注:この文章は、当初、限定された範囲へのコメントとして書き始めました。その後、私が知る、高橋さんのお仕事での一面を広くお知らせすることも多少の意味があるとの示唆を受けましたので、一般に公開するものとして書き直しました。そのため、一部、私的な視点が「揺れ」として残ってしまっているかもしれません。その点はご容赦ください。また、生前、私は、高橋 信頼さんのことを「高橋さん」と呼んでいましたが、文中、同姓の方の話も出てくるので、混乱を避けるため、公開に当たり「信頼さん」という表記で統一してあります。

12月26日、ITproの副編集長、というより、「オープンソース/Linux」取材の第一人者だった高橋 信頼さんが帰らぬ人となってしまいました。同じ分野で取材を共にしてきた者として、あるいは何度も仕事をご一緒させていただいた者として、本当に残念でなりません。

最初にお会いしてから、もう10年以上。同じ分野を追いかけていたので、取材先で顔を合わせたり、仕事で一緒になったりすることも多く、信頼さんとの思い出はたくさんあるはずなのですが、何故かいまは、どれもうまく思い出すことができません。顔を合わせないときも、割と気軽にメールやメッセージをしていたので、私の中では信頼さんが「そこにいる」ということが、思い出すまでもなく日常になっていたんだと、改めて思い知らされました。

お通夜と告別式でどうしようもない現実を目の当たりにした今でも、やはり信じられないという気持ちが、私の中に頑として横たわっています。この文章を書きながら、そんなことあるはずがないと頭では分かっていても、信頼さんが読んで感想を言ってくれるような気がしています。

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信頼さんの思い出を漁っていたら、こんな写真が出てきました。

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2005年8月23日(火)。「第1回 日本OSS貢献者賞」授賞式後の懇親会にて。写っているのは、向かって左から、吉岡弘隆さん、高橋浩和さん、風穴、まつもとゆきひろさん、そして、高橋信頼さん。

信頼さんも私も、いつも取材する側、写真を撮る側なので、信頼さんと私とが一緒に写っている写真は、ほとんどないはず、そう思い込んでいました。そのためか、こんな写真があることを、私もすっかり忘れていました。

その二人が一緒に写っているということは、カメラを誰かに預けて撮ってもらったということになりますが、誰に撮ってもらったのか、どうしてそういうシチュエーションになったのか、残念ながら細部の記憶はありません。

この写真は、

Subject: 風穴さんのコスプレをお送りいたします

というお茶目なタイトルで、信頼さんから送られてきたメールに添付されていたものです。ということは、信頼さんのカメラで撮った写真だったのでしょう(ちなみに、カメラは「DMC-FZ10」。レンズ一体型の高倍率ズーム機で、取材用カメラとしては手軽で必要十分だったので、私も一時期、同じものを使っていました)。

おそらくですが、私が、吉岡さんと一緒に、受賞者のまつもとさん、高橋浩和さんと談笑しているときに、信頼さんがきて写真を撮った、という状況ではないかと思います。そして、そのときたまたま、じゃあ信頼さんも入って撮りましょう、ということになったのでしょう。それが信頼さん自身の発案だったのか、それとも誰かに言われてそうなったのかは、残念ながら覚えていないのですが……。

今となっては、この写真は奇跡の賜のように思えます。

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信頼さんと最初に会ったのがいつだったか、はっきりと思い出せません。それ以降、あまりにも頻繁に顔を合わせることになるので、いろんな記憶が上書きされてしまっているので……。

ただ、Linux関連の何かのイベント会場で、私が講演かパネルディスカッションかを終えた後に、信頼さんのほうから声をかけてくださったような記憶がうっすらとあります。おそらく1999年か2000年ごろのことだったろうと思います。

当時は、Linuxのビジネスが大きく拡がり始めたころで、とはいえ、仕掛けたり手を動かしたりしている人の多くは互いに顔見知りというような時代。なので、例の真面目な調子で「日経オープンシステムの高橋と申します」という他人行儀な挨拶が、新鮮というか、ひどく場違いな印象を受けました。

でも実際に話してみると、案外気さくで、またLinuxやオープンソースへの共感も強く、あの固い挨拶も、形式張った堅苦しさではなく、信頼さんなりの真面目さなんだと、すぐに分かりました。

第一印象がそうだったからか、私は信頼さんに「相反するものの同居」というイメージがあります。真面目で固い感じだけど、実は気さくな面もあるとか、仕事が早くて丁寧だけど、ときどき初歩的なポカがあるとか、必ずしも口数が多いわけではなくコメントはいつも冷静沈着……と思いきや、熱い心を持っていてたまに饒舌になるとかとか。それでも、真面目で丁寧なことは一貫していました。誰に対しても、というのが信頼さんらしいところ。

メディアの仕事は、自分の中にしっかりとした芯を持っていないと、あっというまに流されてしまう激流の世界です。その流れに負けないためには、流れてくるものに対して自分から肩を入れてぶつかっていくようなつもりでいないと、なかなか大変なのですが、そうすると、いろんなものに対して攻撃的な姿勢になってしまいがちです。それでもいい、という考え方もありますが、周囲に味方が少ないと、それはそれでしんどいわけです。そこにバランスを見つけようと、みんな苦労しているのですが、信頼さんは、そういう中でのバランス感覚が飛び抜けて優れていたように思います。

実際に同業として一緒にやってきたのでよく分かりますが、信頼さんほど、いろんな人、いろんなコミュニティに受け入れられ、非常に良い関係を作って広げてきた人はいません。信頼さんの交友範囲の多様さ、広さ、深さに、それは端的に表れています。誰に対しても変わらない優しさ──と言葉にしてしまえば平凡なフレーズですが、実社会でそれを体現することの難しさは言わずもがなでしょう。それを自然にやってしまうのが、信頼さんでした。

そんな優しさ、真面目さにずっと騙され(?)ていて、信頼さんが私より(2学年も)年上だったというのに気づいたのは、出会ってだいぶ経ってからです(たしか、一緒にインドネシアに行ったときの空港のロビーだったような)。年下の、それでなくてもかなり生意気な私にも、信頼さんの丁寧さ、真面目さ、優しさはずっと変わることがありませんでした。今にして思えば、このことも本当にすごいことだし、とても有り難いことでした。失ってから気づくなんて痛恨の極みですが……。

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最初に会って以来、お互いにLinux/オープンソースという同じ分野を追いかけているということで、しばしばというより、実にしょっちゅう、いろんなところで顔を合わせることになりました。

いつしか、そういう分野の記者会見で顔を合わせるのが当たり前になり、むしろ「あれ、何か今日の会見は雰囲気が違う感じがする……」と思って辺りを見回してみて、信頼さんが来てないことに気づくということもあったり。そこにいるのが当たり前、そんな感覚でした。私の中では、昨日今日の喪失感も相当に大きなものですが、これから先も、いつもの記者会見に信頼さんの姿を探してしまいそうで、そのことを考えるだけでも胸が詰まる思いです。

信頼さんと私の関係は、それぞれ違う媒体を主戦場とする記者という面と、私自身がフリーランスという草鞋も履いていたので、編集者とライターという面との2つがありました。同業者という意味ではライバル関係と言えなくもないのですが、お互いに対抗心とか、それに起因する「遠慮」のようなものは不思議となく、結構、いろんなことを普通に話していました。お互いに書いた記事の感想とか、最近気になっていることとか、仕入れたネタとか、思いついた企画とかとか。その企画をやるとしたら筆者は誰がいいかとか、そんな具体的な話もよくしました。改めて考えると不思議な関係だったかもしれません。

信頼さんから「連載を書いてよ」と言われたことがあります。2回ほど。1回目は私の仕事のやり繰りがつきそうになく断念。2回目は、時間的には何とかなったものの、連載として続けるための材料の見通しがつかず、残念ながら実現には至りませんでした。

正確に言うと、信頼さんがこれでいけると思っていた材料は、(当時の)私にはそれほどとは思えず、もうちょっと何とかしないとと私が頑なに主張してしまったためです。これも今にして思えば、信頼さんを信じて走り出してみれば実は何とかなったかもしれません。そのとき自分が何にそんなにこだわっていたのか、正直に言うと、よく覚えていません……。それほど大したことがないものだったのだと思いますが、だったらあのとき受けていれば……という後悔の念にかられています。

結局、形になった信頼さんとの最後の仕事は、6月末に掲載してもらったLinuxCon Japanのレポートになりました。

LinuxCon Japan 2013 レポート - Linus Torvalds氏が語る「Linuxはどこへ行くのか」:ITpro

最初の原稿を出したら、信頼さんから内容を追加してほしいと言われ、加筆しました。それを渡したら、少し間をおいて、さらに追加を求められました。でも、その理由がまったく納得できるものだったので、私にも異存はなく、再度加筆して、結局、当初の倍ぐらいの分量になりました。

ただ、記事の構成(章の順序)については、信頼さんと私とで意見が異なりました。私は、自分がこのレポートで伝えたかったこと、他メディアのレポートでは(おそらく)書かれることはないだろうユニークな部分を冒頭に持ってきたいと考えていましたが、信頼さんは、より幅広い層の人が興味を持ちそうなトピックを先頭にしたいと主張しました。

私もこだわりがあったので主張を通そうと試みましたが、このときの信頼さんはいつになく「頑固な信頼さん」で、どうしてもクビを縦に振ってくれませんでした。結局、私のほうが折れて、信頼さん案の構成にすることになりました。

いま、改めて読み返してみると、私の主張を通さなくて良かったと自分でも思います(笑)。時間をおいたことで、私自身も「編集者」としての視点で冷静に考えられるようになったからです。原稿を書いた直後は、どうしても「筆者」としての視点から抜け出せないもの。こういうケースでは、「編集者」としての揺るぎない視点を貫いてくれる人が編集者でいてくれると、筆者としてもすごく安心できるのです。その意味で、信頼さんは、本当に信頼できる編集者でした。

ちなみに、私の構成案に私自身がつけた記事タイトルは、

君はあのタコを覚えているか?

でした。ホント、思いとどまって良かった(笑)。信頼さん、ありがとう!

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冒頭の写真がメールで贈られてきた数週間後、私の誕生日に、信頼さんはお祝いの言葉を寄せてくれました。それへのお礼をメールしたら、間髪入れず、信頼さんから以下のような返信がありました。

> 日経BP社 IT Pro編集部の高橋です。お返事ありがとうございます。
>
> 風穴さんに少しでも近づきたいと思い,日々努力しております。もとえ,努力し
> ないでただ漫然と過ごしておるかもしれません。
>
> ともあれ,風穴さんは私の目標ですので,これからもご指導ご鞭撻のほど,よろ
> しくお願い申し上げます。
(原文ママ)

私のほうこそ、信頼さんから多くのことを教えてもらい、学ばせてもらっていましたし、いきなりそんなこと言われても……と、何ともコソバユイ感じがしたものでした。でも、今読み返してみると、「ああ、そうそう、まったく信頼さんらしい」という気がします。こういうことを素直に言えて、なおかつ、言われた方も、信頼さんからなら素直に受け止められるという、信頼さんはそういう人でした。

そう言うときの信頼さんの口調を、私は、今でもはっきりと思い出すことができます。それは、あのはにかんだような優しい笑顔とともに、一生涯、忘れることはないでしょう。信頼さん、本当にありがとうございました。(了)

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